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【飲食経営者の肖像】「仲間と一緒に豊かになる」。MOTHERS・保村良豪代表が切り開く、上場でも売却でもない「第3の道」

  • 執筆者の写真: 三輪大輔
    三輪大輔
  • 5月15日
  • 読了時間: 6分

更新日:7月26日

                         三輪大輔|外食ビジネスアナリスト


外食業界には、魅力的な経営者が多い。華があり、明るく、勢いもある。それが叩き上げならではの強さというのだろうか。多くの経営者が、自然と人を惹きつける力を持つ。だからこそ、普段の取材で接する中で、「この人について書きたい」と思う経営者は少なくない。

その筆頭が、MOTHERSの保村良豪さんかもしれない。書きたいという気持ちが強いこともあり、保村さんへの取材は、すでに10回近くに及ぶ。


MOTHERS代表の保村良豪氏。「仲間と一緒に豊かになる」という哲学を掲げ、上場や売却ではない独自の「第3の道」を切り開こうとしている。
MOTHERS代表の保村良豪氏。「仲間と一緒に豊かになる」という哲学を掲げ、上場や売却ではない独自の「第3の道」を切り開こうとしている。

なぜ、これほど何度も話を聞きたくなるのか。取材をするたびに、新しい発見があるからだ。私自身、外食業界の取材を始めて10年を超えた。知識も経験も積み重なり、企業の戦略や経営者が次に打つ手も、ある程度は予想できるようになった。それでも、保村さんの話は簡単には予想がつかない。こちらの想像を超える構想や考え方が、次々と出てくる。話を聞くたびに、外食業界の取材を始めた頃のような気持ちになる。


MOTHERSと私をつなぐ、立川という原点

初心という意味では、私とMOTHERSには、立川という共通の場所もある。


東大和市で創業したMOTHERSは、2003年に立川へ進出した。そこでレストランとしての腕を磨き、少しずつ評価を高めていく。ある意味、立川はMOTHERSにとって原点ともいえる場所だ。私は大学時代を八王子で過ごしたが、当時、遊びに行く場所といえば立川だった。友人とウインズへ馬券を買いに行き、服を買い、酒を飲み、街を歩いた。立川には、若かった頃の思い出がいくつも詰まっている。私にとっても、一つの原点といえる場所である。


その立川の街場は、この20年で大きく変わった。洗練された店が増え、わざわざ足を運びたくなる魅力的な街になった。その変化の中心にいた企業の一つが、MOTHERSである。そして、この20年の間に、MOTHERS自身もまた大きく姿を変えていった。その歩みは、立川から吉祥寺へ、吉祥寺から新宿へ、そして東京の各地へと伸びていった。その後は東京を飛び出し、京都、広島、そして福岡へ。立川で磨いたレストランづくりは、今や全国へと広がっている。


そうした成長の大きさが、MOTHERSの魅力の一つであることは間違いない。しかし、私がより惹かれるのは、その根底にあるスタンスだ。そこには、保村さんの経営者としての哲学が込められている。


「仲間と一緒に豊かになる」という哲学

誤解を恐れずに言えば、成功した企業の中には、社長だけが豊かになっているように見えるケースも少なくない。もちろん、経営者はリスクを背負い、自らの人生を懸けて勝負してきた。そもそも、その最初の一歩がなければ、今の会社も成功も存在しない。だから、経営者が多くの取り分を得て、豊かな暮らしをすること自体を否定するつもりはない。


ただ、その豊かさを自分のところだけにとどめるのか。ともに働く人や取引先、地域へと広げていくのか。そこには、経営者としてのスタンスが表れる。保村さんは後者だ。実際、取材中も「仲間と一緒に豊かになる」という考え方を自然に口に出す。


そのために選んだのが、上場でも、会社を売却して終わる道でもない。MOTHERS独自の「第3の道」である。その構想を初めて聞いたとき、私は素直にわくわくした。外食産業そのものの未来を描こうとしているように感じたからだ。


保村さんがMOTHERSを語るとき、繰り返し口にする印象的な言葉がある。それは「村」だ。村の中には畑があり、牧場があり、レストランやホテルがある。それぞれは別の事業に見えるが、中心には一本の太い「食」という軸が通っている。


MOTHERSは、単に店舗数を増やそうとしているのではない。レストランを核としながら、食材をつくる場所、料理を提供する場所、人が泊まる場所までをつなぎ、一つの経済圏のようなものをつくろうとしているのだ。


外食で働く人が、長く生きていける仕組み

なぜMOTHERSは、レストランという枠を超え、そこまで幅広く事業を展開するのだろうか。その背景には、外食業界に対する強い危機感がある。


現場で働く人の給与は上がりにくく、年齢を重ねた先のキャリアも描きにくい。このままでは、外食という仕事を選ぶ人がいなくなってしまうのではないか。保村さんは、そうした問題を個人の努力ではなく、産業構造そのものの課題として捉えている。だからこそ、働く人が年齢やライフステージに応じて役割を変えながら、長く食に関わり続けられる仕組みをつくろうとしている。


若いうちはレストランの現場で働き、しっかりと稼ぐ。年齢を重ねれば、ホテルや一次産業など、別の形で食に関わり続ける。そこで生まれた食材を次の世代がレストランで料理として届けていく。人が循環し、仕事がつながり、そこで生み出された価値が、現場で働く人たちにも還元される。


保村さんが描く「村」とは、事業の集合体であると同時に、外食で働く人が長く生きていくための仕組みでもあるのだ。


「第二創業」が始まった

その実現に向けて、さらに力強い一歩を踏み出した。それが、2026年4月20日に開業したライフスタイルホテル「THE KNOT FUKUOKA Tenjin」だ。MOTHERSは1階のオールデイダイニング「MORETHAN」を手掛けるとともに、ホテルの運営にも乗り出し、泊まれるレストランという新たな価値をつくり出していく。


都市の通りにあるホテルTHE KNOTの外観。黒とベージュの建物に植木鉢が並び、静かな雰囲気。
2026年4月に開業した「THE KNOT FUKUOKA Tenjin」。MOTHERSがホテル運営と「MORETHAN」を手掛ける。

そこでは、阿蘇の「UBUYAMA PLACE」でつくったチーズも提供する。レストラン、ホテル、一次産業が一つにつながり、これまで描いてきたビジョンが、より具体的な形になり始めた。その意味で、MOTHERSは今、「第二創業」と呼ぶべき新たな局面に入ったといっていいだろう。


創業から25年を経て、MOTHERSは今、新たな地平を切り開こうとしている。その先に何があるのかは、まだ誰にも分からない。ただ、「第3の道」の先には、外食業界の人たちがいきいきと働き、豊かになれる未来が広がっているように思う。


新宿で重なった、MOTHERSと私の歩み

MOTHERSの原点が立川なら、飛躍の地は新宿ではないだろうか。


築39年のビジネスホテルをリノベーションした「THE KNOT TOKYO Shinjuku」で、MOTHERSはレストランの企画・運営を担った。そこで提案したのが、「MORETHAN」というブランドである。料理やサービスを通じてホテル全体の魅力を高め、「食」がホテルの価値を引き上げることを証明した。


その実績が評価され、後のホテル事業への展開や、現在の「第3の道」へとつながっていく。町場のレストランを手掛けてきたMOTHERSが、ホテルという新たな領域へ踏み出し、その可能性を大きく広げた。新宿は、MOTHERSにとって次の飛躍への扉を開いた場所だった。


新宿もまた、私にとって特別な場所である。一度東京を離れた私は、福岡から広島、京都を経由し、夜行バスで再び東京へ戻ってきた。早朝、新宿に着き、窓の外に東京都庁が見えたとき、「帰ってきた」と思った。そのときの感情は、今でも覚えている。


福岡から広島、京都を通り、東京へ戻った私。立川から東京へ進み、京都、広島、そして福岡へと事業を広げてきたMOTHERS。歩んだ方向は逆でありながら、不思議なほど同じ土地が重なっている。新宿は、MOTHERSにとって飛躍への扉を開いた場所であり、私にとっては、もう一度東京で生きていくことを決めた再出発の場所でもある。


保村さんがこれからどこへ向かい、MOTHERSがどんな景色を見せてくれるのか。MOTHERSの強みは、町場のレストランで培ってきた力にある。料理をつくり、空間をつくり、人を迎え、店に人を呼ぶ。その力があったからこそ、ホテルという新しい領域でも価値を生み出し、次の飛躍につなげることができた。


私自身も初心を忘れず、現場に足を運び、人の話に耳を傾け、その変化を自分の目で確かめながら、保村さんとMOTHERSの歩みをこれからも追い続けたいと思う。



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