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【音楽エッセイ】ミスチルと親友と、青春の終わり。

  • 執筆者の写真: 三輪大輔
    三輪大輔
  • 2025年11月11日
  • 読了時間: 7分

更新日:2025年12月15日

いつの日もこの胸に流れているメロディ––––

 

その爽やかな旋律は音楽なんて知らなかった、12歳の僕の心を鷲掴みにした。なんだ、この胸が高鳴る音楽は。大きな衝撃とともに、僕の世界の色は塗り替えられた。原色の世界から、より深みと豊かさ、そして陰影を持った世界へ。もしかしたら、それが大人への第一歩だったのかもしれない。とにかく、『innocent world』との出合いから僕とミスチルの物語が始まった。

 

桜井和寿の歌詞が支えてくれた暗く沈む世界

当時、僕は小学校6年生だった。夏休みに神奈川県厚木市から福岡県北九州市へ引っ越し、新しい環境に戸惑いながらも希望を抱いていた。しかし、その希望はあっけなく打ち砕かれる。かつてクラスの中心にいた僕は、当然のように次の環境でも同じ位置に立てると思い込んでいた。しかし、そんなに甘いはずがない。クラスに馴染めないまま卒業をし、その挫折の感覚が胸に残ったまま中学校までいわゆる暗黒時代が続く。

 

そんな僕を支えてくれたのは、いつもミスチルの音楽だった。テレビに出演すると分かれば画面に張り付いて見つめ、アルバムの歌詞カードはボロボロになるまで読み込んだ。中2のときに発売された『深海』は、閉塞感の中でもがく自分に希望をくれたし、その後発売された『BORELO』は、10代のとき一番聴いたアルバムだといっても過言ではない。


その後も、人生の節目には、いつもミスチルの音楽がそばにあった。例えば、大学受験のときは『終わりなき旅』だ。CDコンポで何度も聴き返し、ただ未来だけを見据えながら勉強机に向かった。大学に合格したものの、家庭の事情で進学できなかったときは『Any』だ。「今 僕のいる場所が」という一節に救いを求めながら、現状を打破するいとぐちを探していた。就活の時期は『Worlds end』、29歳であてもなく再び上京したときは『Prelude』、そして会社員時代に燃え尽き症候群で心が空洞になったときは『未完』と、数え上げればきりがない。人生の転換点には必ずミスチルの楽曲が寄り添っていた。

 

僕らの青春の真ん中には、いつもミスチルがいた

そして、ミスチルがきっかけとなり仲良くなる友だちも増えた。彼もその中の一人だ。大学に入学してすぐに開催されたクラス会。その後に、10人ほどで足を運んだカラオケを、僕は今でも忘れられない。


初対面に近い面々が、流行りの曲や定番のバラードを順番に歌い、場の空気がゆっくりほぐれていく。そんな中で、彼が選んだのは『CENTER OF UNIVERSE』だった。ミスチルのアルバムの中のそれほどメジャーではない曲を選ぶだけでも、十分衝撃だったのに、突如としてライブバージョンを歌い上げたのだ。「ハイ、ボンジュール」と、彼の歌声が高らかに響く。あっけに取られる周囲とは対照的に、僕だけは胸を撃ち抜かれた。その瞬間に距離が一気に縮まり、文字通りの親友となった。


それからは、いつも一緒だ。毎晩のように飲んだし、熱海に箱根、河口湖、伊東と旅行にも行った。ギターのFを鳴らせるように教えたのは僕で、訳の分からないPC技術を教えてくれたのはお前。ウイスキーの魅力を教えてくれたのはお前で、コーヒーのおいしさを教えたのは僕だ。一緒に行った日産スタジアムのライブで大化けした『天頂バス』の話は、いったい何度語り合ったことだろう。


あぁ、世界は薔薇色。ここはそうCENTER OF UNIVERSE––––


あの頃の僕らは、まさに大学という薔薇色の時間を、共に駆け抜けていた。


夢の終わりと、現実の始まり

とある研究によれば、人の脳は四つの年齢で劇的な変化を迎えるという。それが9歳、32歳、66歳、そして83歳だ。脳の構造的には、9歳から32歳までの期間がいわゆる青年期に当たる。その後、32歳を境に脳は安定し、大人としてのモードへと切り替わっていく。

 

その理屈に当てはめると、34歳で僕の人生は転調をした。彼が自殺をし、僕の青春も強引に幕を閉じた。最後に飲んだのは、死の一ヶ月ほど前の池袋だ。改札前で手を振る彼の姿が、どこか寂しげだったからだろうか、妙に鮮やかに残っている。

 

長い間ミスチルを聴いてきたが、彼らの曲で涙を流したことは二度しかない。一度は失恋のときに聴いた『旅立ちの唄』、もう一度は『花の匂い』だ。彼が死んだ後、あてもなく夜の街を彷徨い、深夜の公園で不覚にも泣いてしまった。「ありがとう、さよなら」。その歌詞が、雨に濡れた泥のように沈んだ心に沁み込み、理由もなく涙がこぼれ落ちた。


借り物の言葉を脱ぎ捨てて

それ以来、僕はミスチルを聴かなくなった。驚くほど潔く、ぱたりと。歌詞に共感する回路が断ち切れ、ミスチルの世界へ入っていく扉が固く閉ざされてしまった。どれほど素晴らしい言葉でも、人は救えないのか。かつて胸を熱くしたフレーズの数々が急に薄寒く感じられ、信じていたものに裏切られたような心地さえした。まるで詐欺にあった気分だった。


だが、それはお門違いだ。もともと僕は、桜井和寿がその人生を通して掴んだ言葉を、ただ借りていただけにすぎない。「高ければ高い壁の方が登ったとき気持ちいいもんな」「何に縛られるでもなく 僕らはどこへでも行ける」「さぁ行こう 常識という壁を越え 描くイメージは果てなく伸びる放物線」。そんな歌詞に無防備に寄りかかり、その目線で世界を覗き込み、何かを理解したつもりになっていた。もっといえば、少しばかり“何者か”になれたような気でいたのだ。


しかし、突然の死には、どんな言葉も届かない。いや、そもそも人生とは、誰の言葉を借りても解けないものだ。結局、自分の頭を使って、自らの手で切り開いていくしかない。ずっとミスチルという気前のいい存在に甘え、思考をゆだね、頼り切っていた。そのつけをようやく払わされた気分だった。これを大人になったというのかもしれない。


ともかく、ここから先は、自分の責任で前に進むしかなかった。自分の言葉で世界を捉え、悪戦苦闘しながら道をつくっていくしかない。そこに応援歌はないし、誰かの言葉が入り込む余地もない。目の前には、寒々しいほどむき出しの現実だけがある。それに向き合うための心と、一歩を踏み出す足。それだけだ。自分の力で生きるとは、きっとそのことをいうのだろう。

 

気づけば僕は結婚し、二人の子どもを育てる立場になっていた。支えを求める側から、支える側へと役割が変わっていた。そこにミスチルの音楽はもう流れていない。


声なき声と歩いていく

人が亡くなっても、その人との関係はそこで終わらない。自分との対話を続けていれば、故人との関係も変化し続ける──宇多田ヒカルが、何かのインタビューでそう語っているのを見たとき、僕の心は少しだけ軽くなった。


実際、僕はいまだに彼と話している。自転車をこきながら、電車に乗りながら、ふとした瞬間に彼の声を聞く。ときには喧嘩になることも少なくない。「お前、ずいぶん変わったな」「そりゃ変わるさ」。そんな言葉の応酬だ。かつて親友だと思っていたが、距離を置いて眺めると、案外そうでもなかったと思うこともある。だけど、それでいい。彼と交わしているのは、結局のところ、自分の心がつくり出した言葉だ。他の誰にも借りていない、自分の言葉。それが残っているだけで十分だ。


彼との対話を通して、あらたに気付かされることもある。自分が思ったよりも幼いことや、 生きていることのかけがえのなさ、そしてミスチルも忘れたわけではないことを。多感な時期に染み込んだ音楽は、身体のどこかに必ず残っている。余計な感情がそぎ落とされた後に、ふと思い出すのは「口笛」や「HERO」など、桜井和寿の等身大の言葉で紡がれた楽曲だ。熱狂していた頃とは違うが、静かな形で確かに自分の中で生きている。


2016年11月から、9年が経つ。僕らはまだ会話を続けている。墓参りには行けていない。僕だけの判断ではどうにもならない事情がある。それでも、対話を重ねるほどに、胸の底に沈殿していたものが少しずつ透き通っていく感覚がある。余計なものが洗い流され、最後に残るのは、彼に向けたまっすぐな思いだけだ。


––––またどこかで会えるといいな。そのときは、笑って


僕は、まだ何も諦めてはいない。心は、驚くほど青いままだ。いつか彼に会える気がしているし、また笑顔で語り合える気もしている。そこにいるのは、ミスチルを無邪気に愛していた、あの頃の自分なのだろう。

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