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【楽曲レビュー】吉井和哉/みらいのうた

  • 執筆者の写真: 三輪大輔
    三輪大輔
  • 2025年10月30日
  • 読了時間: 4分

更新日:2025年12月10日

ひっそりとリリースされたその曲は、僕の心にスッと染み込んでいった。まるで最初から、その曲のための隙間が心の奥に用意されていたかのように、ごく自然に。気づけば、冷めた心に注がれるアルコールのように確かに熱が広がり、リピート再生を繰り返していた。リリース日は2021年8月6日。僕はその四日後に39歳になり、二週間後には父親になろうとしていた。


僕の心を静かに、でも力強く動かした曲とは、吉井和哉の「みらいのうた」だ。



有限性を意識した39歳の夏

当時、なぜこの曲が強く胸に残ったのか、うまく言葉にできなかった。しかし今、振り返ると、あの頃の僕は強く“有限性”を意識していたのだと思う。39歳で初めての子どもを迎える。子どもが成人する頃、僕は59歳になる。人生は思っているほど長くない。子どもと過ごせる時間も、想像している以上に短い。その現実が、胸の深いところで静かに動き始めていた。


しかし同時に、命が次の世代へつながるという温かさも確かに感じていた。未来は不確実である。それでも決して恐ろしいものではない。「みらいのうた」を聴いたとき、その二つの感情が自然と溶け合っていたのだ。


過去の自分と現在の自分が交差し、未来へ希望を紡ぐ

「みらいのうた」は、過去の自分と今の自分が交差する曲である。過去の自分を受け入れ、未来に解き放つ。そんな力強さを持った、吉井ならではの希望の歌だ。静かだが、丁寧に紡がれる言葉はずっしりと心に響く。


歌い出しの「何もかも嫌になった こんな時何をしよう」から始まる一番は、「小さな部屋の隅」と歌っていることからTHE YELLOW MONKEY結成前なのだろう。バンドは組んでいるが、メジャーデビューとは程遠く、迷い、立ち止まり、弱さを抱えていた過去の自分を描いている。


二番は、「幼い記憶だから」と歌っているように、吉井の幼少期だ。5歳のときに父親を亡くし、静岡へ引っ越した吉井。「貝殻を耳に当てながら見た海」は静岡の海だろう。中でも印象的なのが、「この場所のここからたまらなく好きだよ」という一節である。コンプレックスを抱えていた幼少期の自分をそっと慰める歌詞であり、過去を懐かしく思いながらも確かに肯定しているまなざしが静かに宿っている。


そこから続く「狭いベッドがステージになる」という比喩も強い印象を残す。狭いベッドは、幼い頃に夢しか持っていなかった自分の原点だ。寝る前に思い描いた、いつか来るかもしれない華やかな未来。その想像を現在の吉井の姿と重ね合わせると、この一行がより強く際立つ。


大サビ以降の歌詞は、現在の自分だ。「何度も何度も立ち上がってみせるよ」は、現在の自分から過去への返答のように響く。弱かった自分、迷っていた自分、その全てを抱きしめながら前に進んでいく現在の自分。この曲は、その姿勢を静かに肯定している。


そして最後に解き放たれるのが、「君と僕をつなぐメロディになるから 怖くない みらいのうた」という一節だ。昔の自分と今の自分をつなぎ、今の自分と未来の誰かをつなぐメロディでもある。未来が不確実であっても怖くない。そう言い切れるのは、過去から現在、そして未来へと続くつながりが確かにあるからだ。


そして僕は父親になった

この構造は、父になる直前の自分とも重なった。過去を抱きしめ、未来へ目を向ける。人生の流れの中で自分がつながっていく感覚が生まれ、それが未来への不安を静かに和らげていた。吉井の作品には、過去の自分を受け入れ、そのうえで未来へ踏み出すという大きなテーマが一貫して流れている。「みらいのうた」は、その思想が最も素直に表現された曲である。


過去を受け入れ、親となり、命を未来へ繋いでいく。僕はあのとき、そうした流れを受け入れ、覚悟のようなものを静かに形づくっていたのかもしれない。そして、それを後押ししてくれたのが「みらいのうた」だったのだ。


映画『みらいのうた』も公開される。この曲が物語の中でどのように響くのか。スクリーンで再び耳にしたとき、あの頃の自分と、今の自分がまた重なり合うのだろう。過去を受け入れ、未来に希望を見いだすという吉井の視線に、改めて共感する気がしている。



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