歌が入る前に、曲は始まっている。スピッツ・三輪テツヤとクリープハイプ・小川幸慈に見る「ギターの力」
- 三輪大輔

- 2 日前
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更新日:7 時間前
三輪大輔|外食ビジネスアナリスト
主役として前に出るギター、曲の景色を先に整えるギター
スピッツとクリープハイプは、どちらもボーカルの個性で語られやすいバンドである。
スピッツであれば、草野マサムネの透明感のある声と、日常の奥に別世界を忍ばせるような歌詞。クリープハイプであれば、尾崎世界観の巧みな比喩を織り込んだ言葉と、感情の輪郭をむき出しにするような高い声。その個性が、バンドの表情を決定づけている。
もちろん、それは間違いではない。 ただし、本当に強いバンドには、ボーカルとは別の「もう一つの声」がある。それが、ギターである。高校時代、ギターキッズだった自分にとって、ギタリストとはTHE YELLOW MONKEYのEMMAやLUNA SEAのSUGIZOのような存在だった。ステージ上で華があり、音が立っていて、リフやソロで曲の表情を一気に変える。ギターが主役の一人として、はっきり前に出てくる。自分にとって「ギタリストらしさ」とは、そういうものだった。
だから当時は、ボーカルばかりが目立つバンドに少し物足りなさを感じることもあった。歌は強い。言葉も残る。けれど、ギターが前に出てこないと、どこかバンドとしての熱量が足りないように思っていた。しかし、年齢を重ねて音楽の聴き方が変わると、別のギターの価値が見えてくる。
スピッツの三輪テツヤや、クリープハイプの小川幸慈のギターは、必ずしも「ギターを聴け」と強く主張するものではない。だが、よく聴けば、歌が入る前に曲の景色を作っている。ボーカルが立つ場所を先に整えている。
言葉が入る前に――小川幸慈が提示する「曲の正解感」
クリープハイプの楽曲を聴いていると、小川幸慈のギターが曲の入口で強い役割を果たしていることに気づく。
たとえば彼らの代表曲の一つである「イト」では、イントロのギターが曲全体の疾走感を先に決めている。言葉が入る前から、すでに感情は走り出しているのだ。「憂、燦々」でも、イントロの綺麗なメロディフレーズが曲の湿度を作っており、尾崎世界観の言葉が入る前に、聴き手はもうその世界の中にいる。
さらに、ライブのキラーチューンである「HE IS MINE」も、小川のギターの力がよく表れた曲だ。激しいチョーキングを伴うイントロが鳴った瞬間、会場の空気は一気に変わる。あのギターがあるからこそ、観客の爆発的なボルテージが引き出される。尾崎世界観の歌詞は、時に狂気すら感じさせるほど生々しい。しかし、小川のギターはそれを壊さない。むしろ、その危うさを補完し、曲全体の熱量へと変えている。
クリープハイプの場合、尾崎の声はかなり特徴的である。鋭さがあり、ひりつきがあり、時に不安定にも聴こえる。しかし、その声が単独で浮かないのは、小川のギターが先に曲の温度を上げているからだと思う。ギターが先に盛り上げ、聴き手の感情を動かしておく。そこに尾崎の声が飛び込んでくる。だから、あの声は不安定さではなく、武器になる。
光の角度を決める――三輪テツヤが創る「どこにも存在しない風景」
スピッツにも同じことがいえる。
代表曲の「ロビンソン」の印象を決定づけているのは、草野マサムネの歌声だけではない。三輪テツヤのアルペジオが鳴った瞬間、あの曲の世界はすでに始まっている。きらめきがあり、浮遊感があり、少しだけ現実から離れていくような感覚がある。そこに草野の澄んだ声が乗ることで、「ロビンソン」はただの美しいメロディではなく、誰もが一度は見たことがあるようで、どこにも存在しない風景になる。
「空も飛べるはず」もそうだ。イントロのギターが鳴った瞬間に、もうスピッツの世界に入っている。草野マサムネの声が入る前から、曲の空気、温度、明るさ、少しの切なさまで決まっている。スピッツは歌メロの強さで語られがちだが、実際には三輪のギターが入口を作っている曲が多い。
「涙がキラリ☆」でも、イントロのギターの歪みがあるからこそ、草野の声の透明感がより際立つ。ギターが前に出すぎるわけではない。しかし、曲の光の角度を決めている。声が美しく響くための空間を、ギターが先に作っている。
遊びの部分が、楽曲の豊かさになり、バンドの幅になる
ここで見落としてはいけないのが、リズム隊の存在だ。スピッツもクリープハイプも、ベースとドラムが非常に安定している。土台が揺らがないから、ギターは自由に遊べる。前に出ることも、引くこともできる。アルペジオで空間を作ることも、鋭いフレーズで曲を押し出すこともできる。
つまり、ギターの自由さは、ギターだけの力ではない。ベースとドラムがしっかり支えているからこそ、ギターは曲の中で動ける。その遊びの部分が、楽曲の豊かさになり、バンドの幅になっている。
ボーカルの後ろでただ鳴っているのではない
若い頃は、前に出るギターに惹かれた。今も、EMMAやSUGIZOのようなギタリストへの憧れは変わらない。音が立ち、姿が見え、ギターそのものがバンドの美学を背負っている。ああいうギタリストは、やはりかっこいい。
ただ、今はそれだけではない。前に出すぎないことで曲を支配しているギターにも惹かれるようになった。歌が入る前に景色を作ること。ボーカルが立つ場所を整えること。バンド全体の空気を決めること。それもまた、ギターの大きな仕事である。
ボーカルは、バンドの最もわかりやすい声である。だからこそ、草野マサムネや尾崎世界観のような存在は語られやすい。だが、その声がどのような景色の中で響くのかを決めているのは、かなりの部分でギターである。三輪テツヤのギターがあるから、草野マサムネの声はより澄んで届く。 小川幸慈のギターがあるから、尾崎世界観の声はより鋭く届く。二人のギターは、ボーカルの後ろでただ鳴っているのではない。むしろ、ボーカルが立つ場所を作っている。
バンドの声は、一人の声だけでできているわけではない。歌が入る前に鳴る音。歌の後ろで揺るがず支える音。そのすべてが重なって、初めてそのバンドだけの声になる。



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